自分らしく生きる旅路の始まり~そして芸能界へ~
~目次~
第1章 小説家デビューからの挫折と気ままな暮らしを手に入れるまでの軌跡!
第2章 自分らしく生きる旅路の始まり~そして芸能界へ~ ←現在ここ
第3章 本当は怖い就職至上主義~鬼怒川の中心で就職決別を叫ぶ~
第4章 追えば逃げるお金と追えば近づく時間の価値は?
第5章 夢の作家デビューと挫折物語
こんにちは、すずみです。
今日は第2章ということで、
私が作家になるキッカケになった話しです。
私が今のような考えを持つようになったのは
作家になったことがキッカケの1つですが、
そもそもなぜ作家を目指したのかを話していきます。
まずは以下の動画にてお話しているのでご覧ください。
机から見上げる空は青さよりも灰色で・・
作家になりたいと思うようになったのは
今になって思うと高校生の時のとあることからです。
私が通っていたのは男子校で、べらぼうに厳しい高校でした。
制服が学ランだったのですが、朝は髪型と首元を締めるホックをしているかを
抜き打ちで週に2~3回ぐらいチェックしてるような学校でした。
あと5分前行動は当たり前だから、その5分前に集合するのが当たり前だ。
それってただの10前行動だろってツッコミをしようものならぶっ飛ばされます。
さらには入学早々、地獄の赤城山洗脳合宿といったものがあったりなど、
それはもうとんでもない高校でしたよ。
今、言えることは後悔しかなったので、あの高校だけはやめとけです(笑)
無駄に忍耐力だけはつきましたけどね。
その頃、私は授業中によく考えていたことがあります。
自分の存在意義。
今振り返って見ても、ちょっと、いや・・
かなり変わっていたと思います。
ただここが自分らしく人生を楽しみながら生きるという
考えに繋がった最初の一歩だったと思います。
自分の存在意義というのは誰もが一度は考えることだと思いますが、
この頃の私は特に何かをしたいという目標も夢もなく、
ましてやどんな仕事がしたいとかもありませんでした。
そんなことよりも自分にしかできないことが
何かあるのではないかということを考えていたんです。
好きなことができない世の中を否定したくて・・
今の日本の一般的なレールとしては、
まずは特にやりたいこともなければ、
大学でモラトリアム期間を過ごして就職。
みんなが大学でモラトリアムで就職ってわけではないですが、
私が知っている限りではこのパターンが多いですよね。
しかも、ほとんどの人が大学で学んだこととは
まったく関係のない会社に入り仕事をする。
その仕事が好きか嫌いかなんて関係なく、
安定しているのか、給料は高いのか、
福利厚生は充実しているのか。
休みは土日休みで残業は少ないほうがいい。
理想の会社としてはこんな感じですかね。
そこに今まで勉強したきたことや
興味があって専門的に学んだことを
考慮して考える人はほとんどいません。
ましてや好きなことを仕事にしたり、
自分の本当にやりたいことができる人は
ほとんどいないと思います。
だいたい大まかに分けるとしたら、
1.好きなことをして十分に稼いでいる人
2.好きなことではないけど十分に稼いでいる人
3.好きなことではないけど人並みに稼いでいる人
4.好きなことをしているけどそれで生活できるほど稼げない人
5.好きなことをしていないのに生活できるほど稼げない人
人によってもっと状況は細かいとは思いますが、
だいたいこんな感じで分けられるのかなと。
当たり前ですが1の人はほとんどいませんが、
みんながここを本当は目指したいと思います。
それなのにほとんどの人が目指すのは2であり、
ここは昔から物凄い矛盾を感じていました。
特に3に属している人はかなり2に対しての欲は強いですね。
まあ好きなことをしてないのだから、
せめてお金は稼ぎたいといのは当たり前ですからね。
また4の人は金銭的にも精神的にも葛藤があり、
最終的にはやりたいこととお金の間で折り合いを
どちらかに付けなくてはなりません。
5は誰も目指したくないですが、
否応なしに選ばざる得ない状況の人も
最近はどんどん増えていると思います。
高校生の頃はここまで明確に分けて考えていなかったですが、
1を目指したい欲求が強かったんだと思います。
そのために自分にしかできないことを探して、
なおかつ十分に稼げることができないかを
あれこれと考えていたんです。
そんなことを考えてるやつは痛いと言われればそれまでですが、
自分にしかできない何かをぼんやりと考えながら窓の外を眺めてました。
・・・やっぱりちょっと痛いやつですかね。
そんなやつだから勉強にはまったく興味はなかったです。
ちなみにテストは一夜漬けで乗り切るタイプでした。
そんな無意味な日々の繰り返し・・・
しかし、とあることがキッカケで変わったんです!
自分らしく生きる旅路の始まりは芸能界!
では、ここからは当時を振り返って語っていきます。
高校2年夏。
とあるキッカケは思いがけない話から始まった。
「あのさ、合コンの計画があるんだけど来る?」
隣の席のKはニヤッとした。
「そりゃ行くけど、なに合コン?」
私はワクワクした気持ちを悟られないために冷静を装って訊いた。
「今回の合コンはヤバイぜ」
Kは私の質問に対してさらにニヤついて、もう体中から溢れ出していた。
「だから、なに合コンなんだよ?」
Kは思わせぶりに少しの間をおいて、喋り始めた。
「実は中学の時の友達が合コンしてくれることになったんだよ」
「で?」
「いやさ、それが条件付きなんだよな」
「だから、条件付きとかじゃなくて、合コン相手のこと教えろよ」
私はさすがにもったいぶったKの態度にイライラして、思わず声を上げてしまった。
「まあまあ、落ち着けって。実はさモーニング○で第2次審査を通った女の子がいるんだけど、その子が3次審査で落ちたら合コンしてくれんだったさ」
「マジか。それなら絶対行くに決まってるじゃん」
ちなみにこの相手は後藤○希でした。
結局、合コンする予定だった後藤○希は
3次審査で落ちることもなくモーニング○に受かりました。
まさかあんなに有名になるとは夢にも思わなかったですけどね。
もったいない(笑)
まあ普通ならここでチャンチャンとなって、残念だったと諦めるのですが、
ここで私はなぜか閃いてしまったのです。
正直、悔しかったのもありますが、
芸能人になれば後藤○希にだって会えるし、
自分が求めていた自分にしかできないことができるんじゃないか。
そう思ったら居ても立ってもいられなくなり、
その帰り道に本屋に行って「De-view」という雑誌を買いました。
ちなみにオーディション情報が書いてある雑誌です。
そこで当時、加藤愛が好きだったのもあり、
同じ事務所であるムーン・ザ・チャイルドという
芸能事務所に履歴書を送りました。
これがあっさりと書類選考を通り、
今でも忘れもしない渋谷にある宮益坂。
書類選考を通り2次審査の場所が渋谷にある宮益坂でした。
面接時間は17:00。
万全を期して渋谷の駅には16:30ぐらいに到着。
面接場所に着いたのは18:00。
えっ??
いや、完全に迷いました。
まあ、この時点でもう完全に諦めてました。
そして着いた早々に言われたのが、
「まだ面接やってて良かったね」です。
それも皮肉たっぷりの言い方で。
試合終了~~と思い、面接も特に緊張せずに適当にこなしたところ、
後日、合格の通知が来ました。
安西先生、諦めてすいません。試合終了ではなかったです。
(意味がわからない人はGoogleにて「スラムダンク 安西先生」で今すぐクリック)
いや、不幸中の幸いというか、諦めていたのでリラックスできたのが
逆に良かったのかもしれません。
そんなこんなで芸能人への道を歩み始めるのですが、
それはまた違う場で話したいなと思います。
ただ今になって言えることではありますが、
ここから自分らしく生きる道を模索するための
旅路が始まったのだと思います。
次回は『本当は怖い就職至上主義~鬼怒川の中心で就職決別を叫ぶ~』です。
⇒ 本当は怖い就職至上主義~鬼怒川の中心で就職決別を叫ぶ~